LE GRAND BLEU revisited: Have you seen a Homo Dolphinus?

『グラン・ブルー』再訪イルカ人間を見ましたか?

ヴィクトル・ノエル  Victor Noel

翻訳:絵島 貢  Translated by Mitsugu Kaishima

このレポートは、本来フランスの実録週刊誌「LOAP」に掲載される予定で執筆されたが、発売直前に取材対象者からの要請により掲載が中止されたものである。この日本語訳記事については、筆者や日本側編集者の努力、ギリシャと日本の物理的距離、さらにはともに「神話」を持つ国であるという事実などが考慮され、特別に許可された。読者には、くれぐれもこの記事の内容を深く鑑み不用意な行動を慎むことを重ねてお願いしたく思う。また、こうして記事が世に出られるよう尽力いただいた関係者各位へ深くお礼を申し上げたい。

エーゲ海に死す

 ギリシャ・アモルゴス島。町から30分ほどオンボロ・バスに揺られる。その修道院を訪れるのはこれで何度目だろうか。バス停からしばらく、シェービング・フォームもローションも石鹸すらなしで毎日髭を剃った漁師の肌のようにささくれだった岩の道を歩くと、前方の切り立った崖の一部が白く変色しているのが見えてくる。ギリシャ人がよく飲む、透明なのに水を加えると白く変色する酒ウーゾ。あの苦い味が思い出される。だが、崖にへばりついているのは、もっと鮮やかな白い塊だ。食べ残しのクリーム・チーズ・シフォン・ケーキのかけら。数度の訪問で、まるで相手にされなかったというのに、今回はあちらからの御招待だ。そんな、軽やかな気分がケーキを連想させるのか。だが、建物に近づくと現実に引き戻された。5、6階建ての建物が崖にへばりつくように海を見下ろす。建物の奥行きはわずか3メートルほどしかない。
 簡単なことではない。実際、目の前に屹立しているのはもっと、堅く、嚴しい、秘密の塔なのだ。

  10年ほど前、素潜りチャンピオンの世界記録を持つ選手が、アモルゴス島近くの海で行われていた競技会の最中に失踪した。地元の警察も、競技関係者も、素潜り大会を取材に来ていた撮影クルーですら、彼のこととなると一様に口をつぐむ。なかには「彼はイルカと一緒に海へ帰ったのさ」とシニカルに応える者もいた。しかし、こうして、フランス、ニューヨーク、ペルーにまで足を伸ばし、彼の行方を追ってきた私には、彼の言葉もあながち冗談と思えなくなっていた。
  失踪の直前、彼の親友でありライバルであった選手が競技中の事故で命を落としていること。さらに、そのふたりが幼少時、同時期にこの島で暮らしていたらしいという情報がどうしても気になっていた。子供の頃に彼らとよく一緒に海で遊んだというバーの主人がいるというのが、この島へ最初に足を運んだ理由だった。

「エンゾはガキ大将だったね。イタリアへ戻った後も、何度か島へ来てくれた。死ぬ直前にもここへ来て、ほら、そこのピアノでなにやら湿っぽい曲を弾いていたな。いつもはイタリア人らしくとにかく陽気だったから、ヘンだな、と思ったんだ。そうしたら、あんなことになっちまった。ジャック? へっ、あのなんだか暗いガキかい?いつもひとりでいたよ。たしか、おやじが事故で死んで、フランスのほうへ引き取られていったと思う……そういや、エンゾもいつだったか、そいつのこと覚えているか、って訊いてたな。悪いが、あまり覚えちゃいないがね」
  私がウーゾをあまり気に入らなかったのを敏感に感じ取ったバーの主人は、あまり機嫌がよくなさそうだった。助け船を出してくれたのは、カウンターの中で甲斐甲斐しく働いているバーテンだった。
 「もしかしたら島の修道院の神父が知ってるかもしれないよ。ジャックのことをすごく気にかけてあげてたみたいだったから」
  リコという青年は、主人の弟だった。エンゾの弟と同じ年なので、仲も良かったという。「ロベルトは、あれから何度かこの島へやって来たよ。アニキの墓に花を供えるんだっていってね。墓はないんだけどさ。海にまくんだよ」
  ロベルトの行方を尋ねたが、かぶりをふった。
 「ほんとかどうか知らないが、メキシコでレスラーをやってるっていう話を聞いたことがある。でも、あの身体だからな。信じられないよ。エンゾならやりかねなかったろうけど」

 初めて修道院へ出かけたとき、そこには誰も住んでいないように見えた。実際、呼べど叫べど、誰も出てこなかった。3時間ほど座り込んで待ってみたが何も起きなかった。なにしろ、とても人が住んでいるとは思えない場所だったので、なにかの間違いだろうと引き上げてきたが、後で聞くと、少し離れたところに礼拝堂があるので、私の訪れた時は神父たちがそちらへ出かけていたのではないかということだった。
 次に訪れたときは、アンドレアという神父が面会してくれた。
 ジャックのことで話すようなことは何もない。この修道院はできてからもう900年以上も経っているので老朽化が激しい。なにか、政府の援助が得られるような記事ならよろこんで協力する。簡潔に言いたいことだけを伝えると早くも扉を閉じようとしていた。私のポケットからそんなお駄賃が出せるとも思えなかったので退散するしかなかった。とにかく、名刺をおしつけるように渡しておいたのが幸いしたようだ。ギリシャから手紙が届いたときは驚いた。そこには正確な英語で、インタビューを受ける用意があるのでまだ興味があるようなら出かけてきて欲しいと記されていた。

海賊と修道士

 修道院の中へ通された私は、そこが外部とはまったく違う空間であることにとまどた。涼しく、暗いのだ。ギリシャの太陽にいぶられた肌はほっと一息をつき、海や修道院の白い壁に反射した光の総攻撃に絞りこまれていた私の瞳孔は、あわてて焦点を合わせようとしていた。白く長い顎鬚をたくわえた神父が私の目の前に差し出したのは、かつてアメリカで使われていた1ドル銀貨ほどの丸い物体だった。読書室だという部屋のテーブルの上にはコーヒーと砂糖菓子が置かれていた。
「17世紀の金貨です」
 私の来訪の目的などいっさい関知しない様子で神父は話し始めた。
「この修道院は1088年に建てられてから600年ほどは、平和で質素な生活が謹厳な修道士たちの努力で続けられていました。しかし、17世紀にこのあたりの海に海賊が出現するようになり、海賊たちは私たちが無抵抗なのをよいことに、定期的にこの島を襲うようになったのです。修道院からは18人もの犠牲者を出しました。おお、神よ、死者に御加護を! そして、ある修道士が、修道院の財産を海の底に隠すことを思いつきました。修道士たちは素潜りの練習を続け、15メートルほどの深さのところにある小さな洞窟に財宝を隠しました。しかし、いつか海賊にその存在を気づかれ、またも盗まれてしまったのです。修道士たちは、さらに素潜りの訓練を続け、もっと深いところに隠し場所を見つけました。しばらく、海賊たちとのだましあいが続きました。修道士たちは、20メートル、30メートルと次第に深いところへ財宝の隠し場所を移していき、ついに水深60メートルのところにある洞窟にまで達しました。さすがに海賊もそこまでは潜れなかったため、あきらめて島へはやって来なくなりました」
 どこかで子供の声がしたような気がした。小さな窓のほうをみやると、遠くにカモメの群れが見えた。
 「その後、この修道院の修道士たちは素潜りを訓練することが義務になりました。しかし、次第に深くまで潜れるものは少なくなり、最後の潜水役修道士が1960年代に死にました」
 神父は私にコーヒーを飲むように手で指し示した。
「その頃、島には素潜りが得意な少年がふたりいました。ひとりはイタリア人の少年。もうひとりは……少し年下のフランス人の少年でした」
「彼がジャックですね。あなたは、彼の居所を御存知なんですか?」
 神父はおおきくかぶりをふって立ち上がった。私は、あわててコーヒーを置いて彼の後を追った。

 修道院からしばらく歩いたところにその小さな礼拝堂は建っていた。神父は、私をそこへ案内しながら、そこから海を眺めるとよくイルカがジャンプしているのが見えると教えてくれた。再び明るい陽光の中に飛び出さざるを得なかった私の目には、海はただゆっくりと静かにうねっているようにまばゆく光っているだけだった。
 礼拝堂の中には小さなマリア像が飾られていた。
「この金貨は、10年ほど前から定期的にここに置かれるようになったものなのです」 そういいながら、神父がマリア像の後ろからとり出した小箱のフタを開けると、そこには数百枚の金貨の塊が入っていた。時価にすればどれほどの価値だろうか。大変な金額になりそうなことは確かだった。しかし、神父の話が真実ならば、この金貨は修道院の財産なのだから、法的には問題はなさそうである。
「ええ、これは確かに修道院のものです。しかし、本来は人間がたどり着けそうにないほど深い位置にある洞窟……しかも、人ひとりがぎりぎりで通り抜けられるほどの入り口しかないはずの場所に隠されていた……いや、隠されているべきものなのです。潜水道具を身に付けていては、そこへはたどり着けないはずなのです」
 神父は礼拝堂を出ると足早に海のほうへ向かって歩き始めた。
「実は、10年前に私は古い友人たちに再会しました。エンゾとジャックです。ふたりがこの島へ帰ってきたことは、ダイビング競技会のニュースで知りました」
「エンゾが死に、ジャックが行方不明になった大会ですね」
 神父は哀しそうに宙を見上げ、十字を切った。
「エンゾの魂よ、安らかなれ! まったく、ひどい知らせでした。……しかし、わたしは、あの前日にふたりに会い、ある頼み事をしていたのです」

  冒険者たち

「私は大きくなって島へ帰ってきたふたりを称えました。そして、真の冒険者として、この修道院の危機を救ってくれないだろうかと頼みました。波や風が年々崖を侵食していくのです。修道院もすっかり老朽化しました。この修道院は900年以上の歴史を誇っていますが、ギリシャ政府はもっと古い遺跡を保存するのに手いっぱいで、小さな島の古い修道院の修復に興味を示す余裕はありません。そこで、ふたりに17世紀の財宝を引き上げてくれるよう頼んだのです」
 驚くべき方向へ話は展開していた。ふたりの海の冒険者と、海底に隠された金銀財宝とは! これで、美しい女性でも登場すれば、映画になりそうなほどロマンティックな物語ではないか。すると、神父が急に立ち止まった。ナイフで切り取ったように垂直な壁を持つ立方形の石が積み重なっている。すぐそこは紺碧の海だ。大きく張り出した岩が日陰を作っているところに誰かがいた。
「さあ、お目当ての方を連れてまいりましたよ」
 神父が声をかけると、その女性はブロンドの髪をなびかせてこちらを振り向いた。一瞬、イルカが海面からジャンプしたかのような衝撃を受けた。美しいヒロインだ。
「ジョアナ・ベイカー。ようこそ、アモルゴスへ」
 ヴィーナスは握手するかわりに、神父の持っていたのと同じ金貨を手渡してくれた。

イルカ人間

「この金貨はそこの岩陰に置いてあったの。礼拝堂と同じよ」
「すると、その金貨を引き上げているのがエンゾとジャックだというんですか?」
「まさか! エンゾは死んだわ。私も見ていたもの。私も、ローランス博士も……ジャックも」
「するとあなたはジャックの……」
「ええ、婚約者だった……と私は思っている。いえ。だった、ではなくて、今も……」
「ジャックは生きているとお考えですね」
「わからないわ。でも……」
 ジョアナは神父のほうを見た。神父は優しそうにうなずいている。

 私は思いだしたように来訪の意図を告げることにした。
「私が海に消えたダイバーを探しているのは、探偵小説のようなたんなる人捜しではありません。私は長年イルカの生態を研究してきました。そして、同じ哺乳類であるイルカと人間がともに暮らせる世界が実現可能なのではないかと考えたのです。というのも、いくら熱心に研究したところで、イルカの行動様式を調べたり、……一部でイルカに言語能力があると考えられてもいますが……そんな実験をすすめるにしても、陸の上に生きている人間には理解不能なのではないかと考えたのです。そんなときに、イルカに近い人間がいるとある人から教えられました。そして、彼に会おうとしたとき、彼が行方不明になったことを知ったのです。彼は人類の未来の鍵を握る存在なのです。ですから、はるばるここまでやって来たのです」
「ええ、知っていました。ですから、手紙を出したのです」
「あ……手紙は貴女が……」
「私は英語の手紙なぞ、かけませんよ」
 神父が笑って付け加えた。

「ジャックは私と暮らすことよりも、海でイルカと暮らすことを選びました。いえ、彼が私を捨てたとは思っていません。人間という種を捨てたのです。私は彼を行かせてあげました。海へ……」
 ジョアナは大きな瞳に浮かんだ涙を振り払うように手でブロンドの髪をかき上げると、もう一度、私をのぞき込んだ。
「ひとはイルカのように海で生きていくことは可能なんでしょうか? 先生」

ヒトはイルカのように海で暮らせるか

 イルカはイカ、イワシといった小さな魚から、アジやタカベなどの中型魚までを主食としている。ヒトもそれらの魚はよく食べるし、日本人のように生のまま食べることに抵抗を感じない民族もいるので、ヒトがイルカと一緒に魚を食べても全然不思議ではない。ただ、魚だけでは栄養が偏るので、海草を食べるとよいのではないかと考えられる。
 海草は、深度によって種類が違い、いろいろな食感、味があるので食べていても飽きないはずだ。日本人が生魚と一緒に食べるオモノリ(サシミのツマ)、ライスにかけて食べるというアオサ(ふりかけ)、スープにして食べるというコンブやワカメなどは水深10メートルくらいまでのとこで容易に採取できる。水深20〜40メートルに生えているマクサなどは、ちょっと歯ごたえがあるが、人魚のモデルともいわれるマナティが主食にしているので十分食用に耐えるはずだ。
 問題は、海水はかなり冷たいので体力維持のために、どうしてもたくさん食料をとらねばならないということ。事実、イルカは食べられるときは必ず食べる。いつ食料がなくなるかわからないから、食べられるときに食べておくわけだ。こうした、習性を身に付けなければ海の中で暮らすのはちょっと難しいかもしれない。呼吸に関しては問題ないはず。イルカもクジラも哺乳類だが、ちゃんと海で暮らしている。人間にできないことではない。ただし、呼吸という地上での習慣を忘れることのできることが条件になってくる。

ブルーへの回帰

 いつの間にか太陽は西に傾き、逆光の中で海はまぶしく輝いていた。
「ということは、ジャックが海の中で元気に暮らしている可能性は十分あるわけね」
 ジョアナが訊ね、私もおもわず頷いていた。
「ありがとう」
 ジョアナは立ち上がると、神父の腕に手をかけて十字を切った。
「ど、どうなんでしょう。こうして、金貨が届けられているのが事実なら、しばらく、ここでサンタクロースの到着を待つというのは」
 ふたりは、何も言わない。
「待つのが無理ならカメラをおいてですね、24時間監視体制を……」
 ふたりはかぶりをふったが、ジョアナがやさしく微笑んでくれた。
「わたしも最初はそう思ったわ。だから、神父さんから金貨のことを伝えられてこの島へ来てから、3日3晩ここで待ち続けたこともある……。でも、なにも起らなかった。だから、たぶん……」
「サンタクロースの正体を知ることよりも、そこにサンタクロースがいるという証拠のほうが大事かもしれませんな」
 神父はそう言うと、力強く握っていた私の拳をゆっくりと開かせた。そこにはジョアナに渡された金貨があった。
「この海にはポセイドンが棲んでいます。昔、ヴィーナスの像がこの海から引き上げられましたが、腕はもげていました。どこかの美術館に展示されているそうですが、はたしてそのヴィーナスは幸せなんでしょうか。もしかすると、ポセイドンは怒っているかもしれませんなあ」

 天空から差し込む後光のようなまばゆい光の中、水平線の彼方でイルカがジャンプしたように見えた。 


『グラン・ブルー−オリジナル・バージョン−』パンフレットに掲載(1998年8月)

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