| 香港クレイジー作戦 60年代の香港の風景
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商売上手で調子が良くて、よく食べよく喋りよく歌い、クヨクヨしなくていつも元気一杯。まるで、クレイジー映画の主人公のようだが、これは、ワタシが香港人に対して抱いている「良い」印象である。この香港の美風はおそらく60年代に培われたものではないかと思う。というのも、いまこうして、香港の中国返還の年である1997年に『香港クレイジー作戦』を再見するにつけ、いよいよ「日本でクレイジー映画が描き出した資本主義世界における理想的庶民生活は、自由港・香港で現実化されていたのだなあ」と思うのだ。 もちろん香港人には「あんまり好ましくない」面もある。お金に執着し過ぎるとか、御上である中国の出方をうかがってセコセコしすぎるとか、古いものを大事にしないとか(彼の地ではかつてのプログラム・ピクチュアをLD化するなんて意義深い作業はまるっきりなされない)。しかし、そういった悪徳はいってみれば、高度成長以後の日本社会が内包してきた問題点と見事に重なるのである(日本の場合の御上はもちろんアメリカだが)。 1960年代、日本と香港の映画界が、意外なほど密接した関係を築いていたことはあまり知られていない。特に東宝は61年の『香港の夜』を皮切りに、『香港の星』62『ホノルル・香港・東京』63と千葉泰樹監督、宝田明と香港の人気スター尤敏(ユーミン)主演によるロマンス映画をシリーズ的に製作。これらは香港のキャセイ映画社との合作となっている。今回待望のビデオグラム化された本作『香港クレイジー作戦』64や、正・続『社長洋行記』62なども合作ではないものの同社の協力によって製作されている。キャセイという会社は日本の才能を輸入することに熱心だったようで、戦前中国にいたこともある作曲家・服部良一を招いてミュージカルを製作したりしているが、絶頂期に会社幹部が飛行機事故に遭遇し機能を停止してしまった。その後、ライバル会社だったショー・ブラザースが、中平康、井上梅次、島耕二といった監督を招聘して日本の演出技術を学んでいくことになる。 |
| 東宝ビデオ「香港クレイジー作戦」LD用ライナーノーツ |
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